6/29  優しさとは

優しい人は不幸な人なのか?
私は常々出来ることなら優しい人に囲まれて生きていきたいと思っている。

そこでふと思いついたことがある。
優しい人はどうして優しく出来るのか?

優しい人は優しさを知っているから優しく出来るのか?

そうであるならその優しさは一体どこで学んだものなのか。

優しさを行うためには優しさを知らねばらならない。
優しさを知るためには優しさと対極の行いを知らねばならない。

人は物事を対比することで初めてそれについて理解を深めることが出来る生き物だ。

例えば最初から優しさしかない環境に生まれ優しさだけに包まれて育った人間が居るとしよう。
子どもは育つ過程で周囲の人間を真似ることで育っていく。
行動を真似、行動の意味を学び、実践する。
この人間の行動は確かに傍から見れば確かに『優しい』と映るだろう。
だがこの人の本質は決して優しさではない。
本人の培った社会性の発露によるものであってそこに思いやりはない。

優しさの本質は行動や結果ではなく相手を思いやる心だ。
まず思いがあって、その結果が行動である。

そして相手を思いやるということは相手のことを想像するということだ。

人間は知らないことは想像できない。
類推することは出来る。
類推するための材料が自分の中に在れば。

その材料の出どころは……自分の経験だ。
自分が見たこと、聞いたこと、そして体験したこと。
見聞きする程度でも自分の糧に出来る人間も居ることには居るが、大抵の人間はやがて忘れる。
忘れないのは自分で体験したことだ。


時々優しい人はそれなりにいる。
比較的優しい人もそこそこいる。
でも、いつも優しい人はなかなか居ない。


優しさとは限りある資源なのか?
使い果たせば優しい人も優しくなくなってしまうのか?

優しさを意識するためには不幸を抱えなければならないのか?
優しい人間が真に幸せになることは出来ないのだろうか?

そうであるならば。
優しい人間というのは実は誰よりも優しさを求めている人間のことなのかも知れない。

――と思った。